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塩崎こうせい

インタビュー

演劇を生業にする人間たちが思想と知識を衝突させ融合させ続ける場、Z℃(ズィド)。今回は、その発足に大きく携わった、俳優塩崎こうせいに思いを語ってもらった。

<プロフィール>

塩崎 こうせい(しおざき・こうせい)

1978年12月21日生まれ。静岡県出身。05年、『イヌのチカラ』よりX-QUESTに所属。以降、劇団本公演の他、大小さまざまな舞台作品に出演している。役者としての活動の他にダンスの振り付けも行っている。近年の主な外部出演作に『あちゃらか』『イムリ』『ヘルプマン!』などがある。

ずっと同じところで止まっている気がした。塩崎こうせいをかき立てた、ひとつ目の“焦燥”。

 
「たぶんすごくタイミングが良かったんだと思います」
 
末原から新しいオファーをもらったときの心境を訊ねると、塩崎はそう答えた。
 
「当時の僕は、ちょうど2年連続で年13本もの舞台に立たせてもらって。まずその数字自体が、僕にとってひとつの挑戦でした。小劇場の俳優にとって、年10本以上出演作が続くのは稀なこと。そういう状況下で、自分がどういう状態になるのか。何を感じるのか。確かめてみたい気持ちがあったんです」
 
年13本となれば、単純に考えても、月1本は出演作がある計算になる。演劇漬けという意味では、役者バカの塩崎にとっては、この上ない贅沢だ。さらに、「売れている」という優越も少なからず味わえる。
 
「ただやってみるとそれはそれで意外と空しいもので。たぶん僕の中で、どこかいい作品をつくるというより、本数が目標になっていたところもあったのかもしれない。そんなことより、もっとしたいことがあったなって思っちゃったんですよ。もちろん出なきゃ良かったなんて舞台は一本もありません。たとえ無名の団体であっても、たとえ共演者が新人ばかりでも、何かしら得るものはあった。ただ一方で、今の自分のレベルで演劇を通して得られるものは、もうもらってしまったなと感じたのも確かです」
 
水は同じところにとどまっていると澱む。常に澄んだ清流であるためには、未知なる河口を求め続けるより他ない。
 
「いつもと同じ団体、気心の知れた共演者、そういう中で芝居ができるのはもちろん心強い。でも、いつまでもそれだけでは自分が腐っていくような感覚がして。全然知らない環境に飛び出したはずなのに、気づいたらまた同じような顔ぶれと芝居をしているという傾向がちょっと続いていたんですね。それが一概に悪いわけじゃないけれど、自分がひとつのところで止まっているような感じがして、どうしたものかなと。もっと知らない人たちと一緒に芝居がしたいという衝動を持て余していました」
 
その“焦燥”は、塩崎こうせいという役者が持つ本能的な危険信号だった。
 
「これだけやっていると、作・演出や共演者、劇場のサイズやチケット代を見れば、現場に入る前から大体どの程度の集客があって、たとえばどれくらいタイムラインをざわつかせられるかというのは、ある程度わかるんです。で、当時の僕はこの作品ならこの程度まで行けばいいだろうと、作品をつくる前から勝手に合格ラインを引いて満足していた。本来ドキドキしたくてこの世界に入ったはずなのに、ちっともドキドキしなくなっている自分がいて。口ではドキドキしたいって言ってるんですけど、本音はドキドキしたくなくて、安全圏に身を置いている。そういう自分に気づくたびに無性に思うわけです、もっとハングリーにならなくちゃいけないって」
 
自分自身、決して根っからの破天荒というわけではない。むしろどちらかと言えば万事まるくおさめるのが得意なタイプだ。だから、そんなふうに堅実に生きるのはごく自然なことなのかもしれない。だが、塩崎こうせいの男の意地と美学がそれを許さなかった。Z℃は、そんな鬱屈の突破口だった。
 
「だって絶対失敗するでしょうから、こんな無謀なこと。勝算なんて一切見えない。でも、だからやりたいと思ったんです。結果も評価もやる前に予測がつくようになった今だから、勝算のないことがやりたかった」
 
 

もうひとつの“焦燥”。僕らの世代がやらなきゃいけないことがある。

 
そこには、40歳という節目を迎える演劇人の“焦燥”があった。
 
「小劇場演劇の歴史を考えると、野田秀樹さんたちがいて、その下に野田さんたちに憧れて、メチャクチャなことをものすごい熱量でやってきた先輩たちがいる。僕らはさらにその下の世代。言ってしまうと、先輩たちがつくってくれた流れに乗っかって、ここまで来たみたいなところがあると思うんですね」
 
さらに自分たちの下で言えば、どんどん新しい演劇のカタチやムーブメントを生み出す新世代が育っている。上の世代の熱狂と、下の世代の新風のはざまで、確たるものを自分たちは提示できていないのではないか。そんな世代的危機感が、塩崎の中にはある。
 
「たぶんみんな感じていることなんでしょうけどね。でも、そういう世代だからこそ、勝算がないものを勝ちにしていかなきゃいけないと思ったんですよ。だって、上の世代はそうやって自分たちの道を切り開いてきたわけですから。もういい加減、人が整備してくれたルートを走るのはやめにしたい。勝算があることには飽き飽きしているんです。それよりも勝算がないものを自分たちの力で勝ちに変えていくエネルギーを掴み取りたい。そういうことが、このZ℃でできればいいなって」
 
24時間かけてブラッシュアップする即興劇。100本を超える舞台経験を持つ塩崎にとっても、未知のチャレンジだ。「リスクしかない」と本人も認めながら、それでも回避しなかった理由を明かした。
 
「カッコ悪いからですね。カッコ悪いのは嫌なんですよ。二択あるとして、逃げない方が絶対カッコいいなって思った。だからやる。それだけなんです」
 
そして、そう決断できた自分自身に今、塩崎こうせいはドキドキしている。
 
「どんどん年をとって、若いときには踏めたはずの向こう見ずな一歩がどんどん踏み出せなくなって。そういう自分をずっとヤバいなって思っていたから、全部取っ払って一歩踏み出せたことは良かったと思っています」
 
たとえそれが踏み出す必要のなかったリスキーな一歩でも、選ぶだけ損な道でも。なぜなら、役者になると決めた時点で、人生を損得で勘定するような生き方からは逸脱してしまったからだ。
 
「もともと僕が演劇を好きだと思ったのも、あの理不尽さを魅力に感じたから。だって、費やしたエネルギーに対して需要と供給が全然合ってないですからね、演劇って。なのに、いつの間にか稽古に対する対価を頭の中でシミュレーションするようになっていた。そういうのは違うだろう、と。そもそも僕なんて、いきなり役者になるって言い出して大学中退したような人間ですから。その時点で、損な方を選ぶ資質があるんです。だからこの勝負は、理不尽極まりなくていい。その代わり、この理不尽を存分に楽しんでやろうとは思っています」
 
ずっと胸の中に渦巻いていた“焦燥”が、アドレナリンに火をつけた。リスクと損と理不尽しかない道に、塩崎こうせいは今、笑って飛び出す。その向こう見ずな一歩が示す方向は、吉か凶か。審判は、2月11日、南青山のサロンでくだされる。
(取材・文/横川良明)
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